yokohamanekoの日記

横浜で猫2匹と暮らしております。

第九

今年も僅か十日となりましたね。
第九の季節となりました。

年末の風物詩と言っても過言ではないでしょう。

ベートーヴェン作曲 交響曲第九番 ニ短調 作品番号125「合唱」

70分というこの大曲の全てを聞く人は少ないようですが、
第四楽章のあの旋律は多くの方が知っています。

先日のアシュケナージのコンサートで、オーケストラの素晴らしさ
に目覚めてしまった私は、23日に「第九」を見に行きます。
とはいえ、チケットを手配したのが一週間前でしたので、
なんと、四階席・・・。

でも大編成です。上から見下ろす方が、良いかもしれません。



さて、「第九」についていろいろ調べてみました。

諸説いろいろあるようですが、
ベートーヴェンは、18歳の時、シラーの「歓喜に寄す」の詩に
感銘を受けたと言います。

それから35年後、
ベートーヴェンはその時の思いを、彼の最後の交響曲
中に取り入れ、第九を完成させたのです。
すでにベートーヴェンは聴力を失っていた。

音楽に携わるものにとって、聴力を失うのは
地獄の底に叩き落されたのと同じでしょう。
でも、彼は、絶望のどん底からこの曲を書き上げ、
絶望を歓喜へと昇華させていったのです。


あまりにも有名な第四楽章。

その歌は、フリードヒ・フォン・シラーの手によるもので、
ベートーヴェンが書き直しているとも言われています。


こんな詩です。






ああ、友よ、そんな調べではだめなのだ
声を合わせてもっと楽しく歌おうではないか
もっと喜びにあふれる調べで

喜び、それは神から発する美しい火花
楽園の遣わす美しい娘
私たちは熱い感動の思いに突き動かされて
気高い喜びよ お前の国に歩みいる
お前は世のしきたりが冷たく引き裂いたものを
不思議な力で再び溶け合わせる
お前の優しい翼に抱かれると
全てのものは同胞となる

心の通じ合える真友を得るという
むすかしい望みのかなったのも
気立ての優しい妻をめとることが出来たのも
喜びの気持ちを声に出して合わせよ

そうだ、この広い世の中でたった一人でも
心を分かち合える相手がいると言えるものも和すのだ
だが、それでさえ出来ぬものは、喜びの仲間から
人知れずみじめに去るが良い

全てのものは自然の胸に抱かれ、
その乳房から喜びをいっぱい飲んでいる
襟正しい人もよこしまな人も、みな全て
薔薇の香りに誘われて、自然の懐へ入っていく
自然は私たちにくちづけと、ワインと
死の試練をくぐりぬけた友を与えてくれた
快楽などはうじ虫に投げ与えてしまうと
知と生を司る天使が神の前に姿を現す

喜びに溢れて、ちょうど満天の星々が
壮大な天の夜空を悠然とめぐるように
同胞よ、お前たちも与えられた道を歩むのだ
喜びに勇み、勝利の王道を歩み英雄のように

私と抱き会おう、もろびとよ
全世界の人たちとくちづけを交し合うのだ
同胞よ、満天の星々のかなたには
父なる神は必ずおわしますのだ
そうすれば、お前たちはひれ伏すか、もろびとよ
この世のものたちよ、おまえを創造した神がわかるか
満天の星々の彼方に神を求めよ
星々の彼方に神は必ずやおしますのだ




私はドイツ語が分からないし、
詩の深い意味も分かりません。

しかし、これに曲がつき、
大編成のオケと、合唱団で演奏されるとき、
感動を止める事が出来ません。



あまりにも有名なエピソードですが、
この曲の初演後、ベートーヴェンは失敗したと勘違いし、
客席を振り向けませんでした。
すでに彼の聴力は失われていましたから・・・。

しかし、指揮者のウムラウム
(アルト歌手のカロリーネ・ウンガーと言う説もあり)
が、手を取って、振り向かせると、

そこには、大歓声と喝采が、見えたのでした・・・。



先日、素晴らしい感動を与えてくれた、
ウラジミール・アシュケナージの動画を見つけました。

第四楽章
時間のあるときにでもお楽しみいただけたらと思います。