yokohamanekoの日記

横浜で猫2匹と暮らしております。

「喫煙権」の記事について


十月五日のブログに「喫煙権」と言うタイトルでおちゃらけた記事を
書いた。ウケ狙いのつもりで書いた記事であるが、いや、ウケ狙い
だったので余計だったのだろうが、非喫煙者から反対意見をいただいた。
コメント欄では字数制限があり、まどろっこしいのでここに記すことにした。

お断りしておくが、賛成であれ、反対であれ、真摯なる態度でコメントして
いただく事は大歓迎である。あまりひどい誹謗中傷だとかいう以外は
削除するつもりはない。たしかにこのブログは私が管理しているが、
コメント欄はパブリックスペースだと考えている。皆さんが自由にやって
いいと思う。よく投稿者同士の意見交換を嫌がる方がいらっしゃるが、
ここに関してはそんな事はない。


さて本題。

私は喫煙を肯定してはいない。が、私の記事は今読み返してみると
喫煙を肯定しているが如く読めなくもない。文章は軽薄であるし、
論理が幼稚に感じられるフシも随所に見受けられる。私の言わんと
する主旨はきちんとあるが、明確に記されていない。半分はウケ狙い
みたいなもので、そのおふざけが反感をかったとしたらそれも反省
しなければならない。

反対意見の方は、喫煙のデメリットを列挙し、だから、喫煙は良くないと
するものである。これらの項目に一々反対意見を唱える事は難解な事
ではないが、私の言わんとする主旨と全然ちがう。

私は煙草の良し悪しなど唱えてはいない。
煙草なんぞ、吸うよりは吸わない方が良いに決まっている。
しかし実際に人口の半分近くは喫煙家であり、喫煙は法律で禁じられて
いるわけではない。今のところ、煙草を社会から排除するのは不可能である。
法律で定められて以上、喫煙をする権利が喫煙者にはある。

それと同時に、喫煙というのは他人に迷惑をかけてしまう行為にもなりえる
ので、当然、非喫煙者にとって、「吸わせない権利」もある。

ある事柄があれば、相反する権利や主張がせめぎあう。
大事なのはそのバランスなのだ。


かつて喫煙というのは野放し状態にされていた。
室内外を問わず、行楽地の山道だとか、海岸の浜辺だとか、日本中の
ありとあらゆる場所で喫煙が可能であり、吸殻入れがいたるところに設置
されているにもかかわらず、吸殻は投げ捨てられた。
そこにマナーだとかルールだとかって問題が浮上し、副流煙というものが
喫煙者以上に他人の健康を害することが論じられてから、クローズアップ
され、今までないがしろにされてきた非喫煙者の「吸わせない権利」が
ようやく認められることになる。当然と言うか、少し遅すぎるくらいである。
こうして権利のバランスは少しすこしづつ中和されていく。

これに乗じて、禁煙場所の拡大や、禁煙席の設置などが進められる。
そうやって禁煙運動が盛んになってくると「非喫煙者」でなく、「嫌煙者」が、
幅を効かすようになる。「嫌煙者」は喫煙のありとあらゆるデメリットをあげ
つあい、喫煙そのものを攻撃し、喫煙者そのものの人格も否定した。
もちろん、こんなのは少数派であり、殆どの非喫煙者は自分たちに迷惑に
ならないように喫煙して欲しいと思っているだけである。
私が思うのはここなのである。なぜ喫煙のデメリットだけあげつらってくる
のだ。ほとんどサディズム的なる攻撃に対し、怒りを禁じえない。

今、嫌煙家によって逆にバランスが崩れかけている。
不特定多数の人間が出入りする公共施設を禁煙にするのに反対はない。
しかしありとあらゆる場所を禁煙にしたら、どこで喫煙するのか?
非喫煙者には分かりづらいが、喫煙者はそうそう長時間禁煙を我慢できる
ものではない。「嫌煙者」にとっては、意志が弱いだのだらしないだのと、
これも攻撃対象になりえるだろうが、権利を侵されているのは明白だ。
喫煙が法律で認められているのなら、禁煙範囲を指定するだけでなく、
非喫煙者に対し迷惑のかからない喫煙場所の設置も行うべきである。
煙草は多大な税金もかけられているのだ。そのくらい当然だろう。


煙草なるものが、この世からなくなれば、問題はない。
しかしそれは不可能であろう。
だったら、非喫煙者と喫煙者は共存していかねばならない。

世の中、とかく極端なものが目に付いてしまう。喫煙者の人格をとやかく
言う輩に、喫煙者は腹も立つだろう。ルールもマナーもおかまいなしで、
煙草を吸いまくる人間は非喫煙者にとって迷惑この上ない。
しかしそんなのはほんの一握りに過ぎない。

私はほんの一部の「嫌煙家」対し、憤りを感じているが、正論である事も
確かである。しかし正論なるものが、常に物事をぶちこわしにしてきた事実
も間違いない。

大事なのはバランスである。

喫煙は法律で認められているのだから、喫煙そのものを卑下する必要はない。
だが、喫煙は非喫煙者にとっては迷惑行為であるくらいの認識を、喫煙者は
持つべきだ。
その上に立って、禁煙場所の範囲を指定し、非喫煙者の権利を守り、
喫煙場所の設置により、喫煙者の権利を認めるのも国の義務である。
一方の権利だけを優遇する国に対し、憤りを感じている。
これが私の言わんとするところである。