yokohamanekoの日記

横浜で猫2匹と暮らしております。

「僕の動物園日記」


今朝の朝日新聞の「天声人語」を読んで絶句した。


葬儀場の最寄りの駅に、道案内の看板があった。普通は「××家式場」
などとあるものだが、「かば園長葬儀式場」と書かれてあった。
埼玉県宮代町にある東武動物公園の初代園長を勤めた西山登志雄
さんが亡くなった。77歳だった。式場にはカバがあふれ返っていた。
巨大な銅像や置物、ぬいぐるみ…。祭壇にも花を使ってカバの絵が
描かれていた。
「ぼくはカバが大好きである。カバもぼくが好きである」
そう言っていた西山さんらしい、前代未聞の葬儀だった。




遠い昔に記憶を巡らせる。三十年前…三十五年前…?。
正確にはわからないが、小学生の時。
当時、少年ジャンプに「僕の動物園日記」というマンガが連載されていた。
家ではマンガを買うことは許されていなかった。許されていないから見る
事もなく、だから興味もないのだが、「僕の動物園日記」だけは読みたかった。

どうしたか?
床屋で読んだのである。私の通っていた床屋さんには少年ジャンプが置いて
あった。しかし、それは混んでいると時の待ち時間用にあったのである。
床屋には一ヵ月に一回行く。一カ月分読むにはかなり混んでいる時に行く
必要があった。

順番を待つ人のためにソファーが一台あった。それと予備椅子みたいのが
二台。丸いパイプ椅子だった。そのパイプ椅子まで人が座って居ないと、
一ヵ月分のジャンプは読めなかった。

そんなくだらない事は覚えているのに、肝心のマンガの内容をすっかり忘れている。




戦争直後の46年、16歳で飼育係として上野動物園に入った。依頼、
カバを始め様々な動物を育ててきた。70年代には、西山さんを主人公
にした漫画が少年誌に連載された。

「僕の動物園日記」(作・飯森広一集英社)を読んで動物が好きになった
子どもはたくさんいるのではないだろうか。最近、別の出版社から復刻版
も出版された。飼育係になりたての西山少年が、母を亡くしたサルやカバ
たちに愛情と熱意を持って接していく、心温まる漫画だ。




内容は本当に忘れた。熱血感にあふれた西山少年、西山少年にはいかつい
顔の先輩がいたような記憶があるが、定かではない。いろいろなマンガが
いろいろな形でリバイバルする中で、何故かこのマンガは復元しなかった
らしい。少なくとも、私の目に留まる事はなかった。
そんなありさまでも、動物たちが飼育係によって泣く泣く殺される話しがあった。

終戦間近、東京にも空襲の危険性が高まった。大本営は動物園に対し、
大型動物の処分を命じた。空襲で動物園施設が破壊され、動物たちが
脱走し、危険な存在になるのを怖れたためである。
飼育係たちは必死になって動物を守ろうとした。動物たちを疎開させられないか
検討するが、当時の日本にそんな余裕があるはずがない。国の命令は
絶対である。動物たちは処分された。

その時何歳だったか忘れたが、号泣した憶えだけはある。
およそ、感情の起伏のないぼけっとした子どもだった私でも、悲しくて
やりきれなくて何日か塞ぎこんでしまった。

引っ込み思案で、自分一人では何もできない愚図な子どもだった私は、小学校の
四年生になり、初めて自分で希望した仕事があった。

鳥小屋の飼育係である。

臭くて、汚くて、思ったよりずっと辛い仕事だったが、六年生までやり通した。
小屋にはうさぎが二羽とニワトリが二羽いた。最初は全然慣れてくれなかった。
しかし、やがてうさぎは私の姿を見つけると、金網の隙間から鼻先を出して
ふんふんと鳴らし、ニワトリはしゃがんで掃除をしている私の肩や頭に飛び乗って、
糞をした。

友達はそれを見て笑った。でも私は得意だった…。


西山登志雄さん。
動物たちに優しくする心を教えてくださってありがとうございました。
そんな心もすっかり忘れかけた昨今…。恥ずかしく思います…。
安らかにお眠り下さい。

合掌