yokohamanekoの日記

横浜で猫2匹と暮らしております。

巨匠の言葉


クラシック音楽を聞き出してから、まだそう年数は経っていません。
ですから、作曲者を中心に聞く事が多いです。
指揮者、オーケストラ、演奏者、などにはさほど興味はなく、
同じ楽曲をこれらの組み合わせで聞き比べをするなどというレベルでは
到底ありません。

ですが、以前は目にも留まらなかったクラシック音楽の記事などを、
今はかなり熟読したりするようになりました。
今日も見つけて読みました。今朝の朝日新聞



「挑戦、それは私の義務」

古楽界の重鎮、指揮者のニコラウス・アーノンクールが今月、ウィーンフィル
ハーモニー管弦楽団と、自ら創立した古楽集団、「ウィーン・コンツェルトゥス・
ムジクス」をそれぞれ率いて来日した。日本で舞台に立つのは26年ぶり、
その間、音楽界での評価も「異端児」から「大家」と様変わりした。

来日公演で披露したモーツァルトの「レクイエム」を、作曲者の命日の10月
5日を最後に「10年は演奏しない」と宣言した。ブルックナー交響曲も、
5年は封印するという。
「一番良くないのは、仕事がルーチンに陥ること。作品には、常に新しい態度
で臨みたい」
 まもなく77歳。「賞味期限の近い牛乳みたいなもの」とおどけてみせるが、
ここ数年の活躍はめざましい。01年と03年にはウィーンフィルのニューイヤー
コンサートに出演。モーツァルトイヤーに沸いた今年のザルツブルグ音楽祭
では、オペラに演奏会にと引っ張りだこだった。

古楽に人生を託そうと決めたのは「一筋縄ではいかぬ生徒で、常に先生
の言うことを疑っていた」大学時代。チェロの勉強をしていたが、「コレッリ
パーセルなどのバロック音楽が、『簡単』かつ『退屈』なるものとして扱わ
れていたことに疑問を持った。音楽ではなく、演奏が『退屈』なのではないか、
と」

バロック時代の楽譜は、奏でられる音のすべてを今ほど厳密に指示してい
ない。「バッハもマーラーも楽譜の見た目は同じようなものでも、音符の指示
する内容がまったく違う。同じ様に演奏したら、バッハの方が退屈になって
当たり前」

そんな思いが、「指揮者と楽団」という主従関係ではなく、全員が対等の
同士となるコンツェントゥス・ムジクスを生み、育てた。
「楽譜を読むのは、絵画に向き合うのに似ている。同じ絵を数人が見たら、
それぞれが違う想像力をかきたてられるでしょう。その数人が議論し、その
想像力を束ね、ひとつの作品をつくってゆく。私たちたちがやってきたのは
そういう作業」

今年で結成53年。かつては前衛的で奇抜な集団と見られ、音楽会には
「我々が興味を持つのはバッハのかつらではなく、バッハの頭と心」など
という手厳しい評もあった。
「それは当然のこと。拒否も批判もなく新しいいことが受け入れられ、新た
な流れを作り出すことなどないのだから」

今も古楽は「昔の響きを忠実に再現するのが目的」と語られがちだが、
「作品が生まれた当時の楽器を使っても、音楽の『再現』などできない。
音楽を表現するのは、あくまで演奏家の想像力。その演奏は今日の観衆
のためにある」
「観衆が副を引き裂いて熱狂するほどの演奏をしたい」という思いの一方、
「すぐには受け入れられなくても、作品から常に何かを『再発見』しようとする
姿勢が大切」とも語る。

「私にとって挑戦はやりたくてやるものじゃない。むしろ義務なのです」