yokohamanekoの日記

横浜で猫2匹と暮らしております。

植木等さんと小松政夫さん


先月、名コメディアンの植木等さんが亡くなられました。
悲報に驚くとともに、あの元気いっぱいのイメージしかない
植木等さんがすでに80歳にもなられていたのかと、
時の流れを痛感しました。

植木さんの生前を称えるメディアは枚挙に遑がありませんが、
その中でも、「読売ウィークリー」に乗っていた小松政夫さんの
インタビューが、植木さんの人柄を偲ばせる内容でした。


私は芸能界に疎いので、小松政夫さんが植木等さんの
付き人兼、運転手をしていた事も知りませんでした。

記事によれば…、

小松さんは1961年、高校卒業後、福岡から上京し、
有名な劇団養成所に合格していたのですが、入学金が払えず、
他の職業についていたそうです。
そんな時、植木さんの「付き人、運転手」の募集を見て、応募、
採用されたそうです。

月給は7000円、アパートの家賃が6000円で、1000円しか
残らなかったのですが、食事は植木さんと一緒で、食費は掛からない。
当時、植木さんは絶頂期だったのです。

そして3年10ヵ月後、

記事より抜粋

付き人兼運転手になって3年10ヵ月がたったある日のこと。
おやじさんを乗せて運転していたら、
「(所属するプロダクションの)社長に(小松が)タレントができるように
いっておいた。マネージャーもつけたから、明日から来なくてもいいよ」
といわれたんです。
青天の霹靂でしたね。うれしくてうれしくて涙がこぼれてきて
運転ができなくなったんです。
車を道路の脇に止めて、わたしが泣いていると、おやじさんは
泣きやむまで待っていてくれました。



こんなエピソードがあります。
植木さんの代表的なギャグの中で「お呼びでない…」というのが
ありますが、これは、ある番組の中で、小松さんが、植木さんの
出番を間違え、慌てた周囲に、植木さんが機転をきかせて言った
のが始まりなのだと言います。

しかし小松さんが言うには…、

記事より抜粋

おやじさんは「小松がね、出番を間違えちゃったんだよ」と言って
いましたが、ぼくには記憶がないんですよ。生前にはっきりとさせて
おくべきでしたね。
おやじさんはいつも、知り合いに「小松は面白いやつなので、何か
あったら使ってくれ」といってくれていたんです。
「お呼びでない…」は、ぼくが付き人兼運転手を一生懸命にやっていた
のでご褒美にぼくの存在をアピールしてくれたのかもしれません。
それが、一躍有名になっちゃって。おやじさんはそういうところが
あるんです。



植木さんというのは面倒見に良い、まさに「おやじさん」だったん
ですね。そういう人柄だからこそ、無責任などという普通ならば、
あまりありがたくないようなキャッチでも人気者になれたのですね。

他にもいろいろありますが、興味のある方は読んでみたらどうでしょう?
植木さんの人柄を感じる事が出切るでしょう。
あらためてご冥福をお祈りいたします。

合掌…。