yokohamanekoの日記

横浜で猫2匹と暮らしております。

アメリカの銃社会


奇しくも、日米で、銃による大事件が起きてしまいました。

日本では、長崎市長が、山口組水心会の幹部によって
射殺されました。

アメリカでは、ヴァージニア州ヴァージニア工科大学で、
韓国人留学生が2度にわたり、銃を乱射する事件が起き、
30人以上の犠牲者が出るという、アメリカ史上、最悪の
大惨事となってしまいました。


まだ捜査当局の調べは進んではおらず、
どちらの事件も真相にたどり着くまでには
まだ時間が掛かりそうです。

しかし、それにしても事件の性質はかなり異なるとは
思います。それはともかくも…、

歴史的背景はいろいろとあると思います。
でも、どうしてアメリカは銃を排除しようとしないのでしょう?
開拓時代の自衛思想に根差していると、朝日新聞のコラム
にありました。

自分の身は、自分で守れということなのでしょうか?
しかし、自分が銃を持てるということは、誰でも持てる
ということで、それってやっぱり安全とは程遠いと思うのです。


人間なんて、感情の生き物なのです。
感情が理性を凌駕してしまうから、犯罪が起きる。
そこに武器が存在するから、悲惨な結果を産むのではないかな?

銃が人を殺すのか? 人が人を殺すのか?
人だと答えて、銃の正当性(?)を謳う人がいるそうです。
これはアメリカの理論です。

銃が人を殺すのではない。人が殺すのだ、と言えば、
銃は悪くないと?
でも、人を殺したい奴のそばに銃があれば…、
彼の狂気は簡単にかなえられるでしょう。


アメリカは暴力を否定しつつも、
何故、凶器は否定しないのでしょう?

銃と核…、最強の殺傷能力を持つこの凶器は、

暴力ではないのかな??


ヘミングウエイという素晴らしい作家を輩出したアメリカが、
どうして彼の「武器よさらば」に同調できないのだろう?


世界最強国家のアメリカが変わらない限り・・・、
銃という忌まわしい武器が、地上から無くならない限り、
永遠に悲劇は続くと思います。