yokohamanekoの日記

横浜で猫2匹と暮らしております。

746グラムのドラマ


以下、朝日新聞朝刊からです。



出生746グラム つかんだ「25」

横浜S大は部員138人の大所帯。
夏の甲子園出場3回を誇るが、未経験者でも受け入れるのが
K監督の方針だ。だが2年前の春、一度は入部を断った
選手がいた。



横浜市A区の同高グランド。KU君(三年)は紅白戦中、ベンチで大声を
張り上げていた。

U君は91年12月24日未明、市内の病院で生まれた。
当初の予定日は翌年の4月8日。体重746グラムで、産科医からは
命さえ危ぶまれた。すぐに超低出生体重児に対応できる病院に搬送され、
退院できたのは4ヶ月後だった。

同級生に比べて体は小さかった。小学生の頃は、風邪を引けば肺炎に
なって入院した。父は「周辺の病院の診察券は全部持っていた」と話す。

学校を休みがちなU君に、父は付きっきりで勉強を教えた。父は高校時代、
野球部の中堅選手。本当は一緒にキャッチボールもしたかった。
テレビで高校球児を見るのが大好きだったU君は、中学に進むと
「野球部に入りたい」と言ってきた。勉強との両立を心配した両親は反対し、
陸上部に入った。

高校進学。U君は「まさか、入れないだろう」と思いつつ、
野球部の説明会に行った。恐る恐る手を挙げ、
「未経験者でも入れますか?」と質問した。K監督は「全員入れる」と
笑顔で言った。

だが練習初日の夜、K監督から母に電話があった。監督は率直に、
「無理だと思います」と告げた。明らかに周囲と同じ動きができず、
危険だと判断したからだ。一緒に説明会に参加していた母は、
「先生、初日であきらめないでください」と食い下がった。

翌日、父が学校を訪ね、誕生からの経緯を説明した。
「いざという時は私の責任で辞めさせますから」と懇願。
入部が認められた。


大所帯だけに、新入生は「指導係」の3年生が教える。
当時の先輩はU君に
「3年間続けろよ」
「後輩の悩みを聞いてあげられる先輩になれ」
と言ってくれた。

U君は言う。
「選手になれないのは最初から分かっていた。でも一番下手な自分が
 さぼっていたら、みんなに失礼だと思う」
朝5時半には家を出て、誰よりも早くバットを振った。
後輩ができてかは、ティー打撃でボールをあげる役など、頼まれた練習を
断ったことがない。


昨秋、K監督は忘れられないプレゼントをくれた。
25人がベンチ入りできる県大会初戦で、背番号25をU君に渡したのだ。
ベンチに入れない部員は大勢いる。持ち帰って見せたが、
両親は信じられなかった。
母が始めて縫い付けた背番号つきのユニホーム姿は、記念写真に収めた。

実力ではなく、努力の証だと本人も分かっている。
「S大で野球を続けられたのが夢みたい。全力で応援して甲子園に行きたい」


今夏は背番号のないユニホームで、仲間とともに戦う。







甲子園で、トップクラスのレベルで優勝を争うのはドラマです。
毎年、毎年、感動のドラマがあります。

でも、そんな栄光からは、遠く離れたところでも、
ちゃんとドラマがあるのですね。

息子の意志を尊重し、野球部入部に食い下がった両親、
一度は入部を断ったものの、「全員入部」を貫いた監督。
そして、実力でなく、努力に与えられた背番号25。

トップクラスの高校生の野球を非難するつもりはありません。
彼らだって、日々激しい訓練による努力を重ねているのですから。
でも、今の歪んだ日本経済と同じく、高校野球も「勝ったものが偉い」
になってしまいがちです。
教育現場でのスポーツは、もっと実力と努力を同等に扱って欲しいな、
と思ってしまうような記事でした。