yokohamanekoの日記

横浜で猫2匹と暮らしております。

憧れのギター

私が音楽をやりだしたのは14歳で始めたギターでした。
当時、となりに住んでいた友達の家が、魚屋さんをやめ、今で言うリサイクルショップを始めたのでした。もちろん、そんな言葉は当時無く、「古道具屋」とか言われていた気がします。
 
 あまり記憶は定かでないのですが、昔は「粗大ごみの日」なるものがあり、その日は、決められた場所に、何を捨てても大丈夫でした。今と違って料金がかかる訳ではありませんでした。
 大型家具だとか、家電製品だとか、なんだか訳の分からない置物だとか、虎の敷物だとか(爆)、楽器だとかが、所狭しと捨てられたものであります。でも中には、まだまだ使える物もあり、それを拾って帰る人もいました。今で言えば、バザーみたいなものでしょうか。でもお金を払う必要はありません。なにせ、捨てられているんですから…。
 
 ちなみに、今は、横浜市では、ゴミ集積場に出されたゴミは、所有権が横浜市に移り、これを持ち去ったものは、窃盗になります。他の自治体ではどうだか知りませんが…。
 話が脱線いたしました。
 
 
 なにはともあれ、お隣の古道具屋にはいろんな骨董品が並ぶ事となります。そんな中で、楽器も持ち込まれるようになったのです。ここで私は初めて「ギター」なるものを見たのです。
 それは隣の友達が弾いていました。ガットギターだったのか、フォークだったのか、全然記憶にありませんが、エレキではありませんでした。ちゃんとボディーがあり、しかし、ところどころに穴の開いているまさにガラクタでした。
 私も借りて恐る恐る弦をなでてみたら音が出ました。(当たり前だけど…)友達はコードなるものを教えてくれて、これを押さえて上から下まで弾け、と言いました。何のコードだったかは今では定かでありません。でも、和音と言うものを初めて知った瞬間でした。
 
 その後、お隣のお父さんが、ギターをくれました。友達が持っていた以上のボロボロギターでしたが、「自分の楽器」が最高にうれしかったのを覚えています。後は悪戦苦闘の毎日であります。
 なにせ、左指の指先が腫れ上がりました。痛いのなんのって…!! 古道具屋のギターですから、弦なんぞは錆びていました。ナイロン弦だった気もするけど、それでも初めて押弦した左手指先は悲鳴を上げていました。
 最初に覚えた曲は  コードはCと、DmG7の「世界は二人のために」だった。
 
 何回でも弾きまくった。いや、当時のレベルでは弾いていたとは言えないと思うが、コードと言うものに合わせれば、歌が歌えるのかと驚いた音楽音痴の私だったのです。
 
 
 
 
 
それから40年近くが経過しました。
今、私の手元には、ホアンエルナンデスクラシックギターがあります。
ギブソンのES-335があります。
 
そして新たに仲間になったのが、夢にまで見たあのアコースティックギターです。
 
 
マーチン…。
 
 
 
 
マーチンD-45と言えば、今でもかるく100万円を突破する高級ギターです。さすがにそんなのは買えない。だったらせめてスタンダードのギターを…。
 そ、それが、D-28です。
 
 
買いました!!
これです。↓
 
 
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ミミちゃん、気を付けてね…。
 
 
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 改めて、アコースティックギターの音って素晴らしいと思いました。
 最近、ご無沙汰のクラシックの音も鳴らしてみたくなりました。
 
 いやぁ、やっぱギターって素晴らしい!!!!