yokohamanekoの日記

横浜で猫2匹と暮らしております。

「シン・ゴジラ」



 映画音痴の私でも、ゴジラに関してはちびっ子の頃から慣れ親しんで来ました。私のちびっ子はもう何十年も昔の事ですが、ドキドキ、ワクワクした怪獣ものの映画はとても楽しいものでした。
 でも、これは怪獣映画ではありません。

 去年、この映画が上映中、永田町では大変な話題になったそうです。
シン・ゴジラ観た?」
 まるでこれが政治家達の合い言葉の様に交わされ、ついには安倍首相までが、
「話題のシン・ゴジラですが、私と官房長官早々に死んでしまうそうです」
 と言って回りの笑いを誘う映像を私も観た記憶があります。
 ゴジラ映画が何故政治家に?と言った疑問はありましたが、そのうちテレビでやるでしょ、と思いながら、早くもそのチャンスがやってきました。

 事の発端は、アクアラインの冠水事故であります。地下高速道路の天井からなにやら赤い液体が降ってきました。対策本部かなんかが設置され、総理大臣は下の言われるままに
「あ、そうか」
 とか頼りない返答を繰り返します。現場から巨大生物の尻尾が確認されるや、捕獲だ、排除だと、論争は紛糾します。その巨大生物が上陸し、甚大なる被害をもたらします。

 ここで初めて巨大生物として「ゴジラ」を期待した私はかなりがっかりします。巨大生物があまりにも丸目の愛らしいモンスターでした。これはゴジラじゃねぇだろ。
 そっか、こいつを追いかけてゴジラが続くのに違いない。こいつはゴジラのエサになるのだろう、などと勝手にストーリーを造ってしまう私ですが、全然違いました。


 巨大生物をどうするかで、こんなやりとりがありました。

「第76条の武力攻撃と解釈して防衛出動の方が武器使用として対応しやすいんじゃないのか」
「武力攻撃と解釈するのは難しい。76条では武力攻撃を加えてくる主体を、国または国に準ずるものと想定している。防衛出動は出せない」
「今はそんな事を議論してる時じゃないだろう。どう見ても自衛隊しか自体に対処出来ない」
「だがそれは市街地で自衛隊が戦闘を始める事になる。恐らく総理は渋るよな」


 その通り、総理は確かに渋りましたが、攻撃を許可しましたが、二足歩行になったゴジラに向かい合った自衛隊に対しこう言いました。何故なら近辺に非難に遅れた老人夫婦がいたからです。

自衛隊の弾を、国民に向ける事は出来ない!」

 こうして作戦は中止されました。これを是とするか非とするか。平和を当然として受動してきた日本人にとって、当然の行為であったかもしれません。だが、その後の被害を考えれば、例えばアメリカなら躊躇無くゴジラを抹殺した事でしょう。

 平和な事は良い事だと思います。しかし世界中が平和なら問題なくても、脅威と言うものは必ずあります。そこにどうやって危機管理するのか。あらゆる想定でシュミレーションしなければなりません。
 さて、その後、ゴジラは最強になってしまいます。米国に逆らえない日本はゴジラ抹殺を米国にまかせるしかありません。日米安保条約にのってついにかの国の登場です。

 しかし最強のゴジラは米軍も相手にせず、結局、政府はゴジラプロジェクトにまかせるしかありません。

 今までのゴジラ映画と大きく違うのは、ちょっとリアリティーがあり過ぎると言う事です。実際には存在しない組織(地球防衛軍とか…)が対応したり、憲法だの法律だのややこしい事を横に置いてきました。
 それが、実際に日本政府が対応したらこうなるだろうと言う事に、観る物がうなずいてしまいます。確かに政治家ならば、ありえない事象とは言え、想定外(東日本大震災による)を言い訳に出来ない今、政治家がエンターティメントとは言え、非常事態に関してどう対応していいのか、勉強する切っ掛けとなれば良いと感じます。

 だからと言って、右とか左とかって主義に関して興味はありませんので、悪しからず。