yokohamanekoの日記

横浜で猫2匹と暮らしております。

天使と悪魔



「天使と悪魔」 ダン・ブラウン(越前敏弥 訳) 角川文庫


 つい最近、この作品が文庫化された。御存知、「ダヴィンチ・コード」ブー
ムに乗っての第二弾である。文庫本の「ダヴィンチ・コード」を読んだ読者
は、すぐさま飛びついたであろう。私もその一人である。

 「ダヴィンチ・コード」の大ヒットが、凄まじかったせいか、少し、影の薄く
なった感のある本作であるが、「ダヴィンチ・コード」で大活躍した、ハーバ
ード大学、宗教象徴学教授、ロバート・ラングドンのデビュー作なのだ。
 デビュー作とは言え、すでに私たち、にわかダン・ブラウンファンにはお馴
染みのキャラクターになってしまっている。



 物語の発端はスイスである。セルン(欧州原子核研究機構)で殺人事件
が発生した。被害者はレオナルド・ヴェトラ。レオナルドはセルンで、核を遥
かに凌ぐエネルギーの「反物質」の開発に成功した。
 レオナルドは殺され、「反物質」は盗まれた。「反物質」は24時間以内に
機関に戻さないと、核兵器の千倍の破壊力を以って爆発する。

 一方、ローマのヴァチカンではコンクラーベが行われつつあった。コンクラ
ーベとは、ローマ教皇死去による、後継者決定の為の選挙である。その最
中、次期教皇候補である四人の枢機卿が行方不明になった。

 そこへ「イルミナティー」を名乗る謎の男から電話が入った。四人の枢機卿
を一時間ごとに一人ずつ殺害し、最後に「反物質」で
ヴァチカンを消し去る…。

 ロバート・ラングドンとレオナルド・ヴェトラの養女であるヴィットリア・ベトラ
は、ガリレオ・ガリレイの残した古文書から、四つの殺害現場を探り出し、凶
行を阻止すべく動き出すが……。


 「イルミナティー」とは人名ではない。ある組織の名である。

古い時代から、科学と宗教は対立してきた。宗教的解釈を覆すような科
学の証明した者は、ことごとく弾圧されてきた。そこで科学者たちは集い、
宗教に対立すべく「イルミナティー」を結成したのである。
 しかしイナミルティーは過去の組織だ。現存する事を証明した者はいない。
遠い過去からの呪いを、今ヴァチカンは受けようとしていた。


 適当なジャンル分けをすれば、タイムリミットサスペンスとでも言うのだろ
う。陳腐な命名で申し訳ない。しかし面白さでは抜群だと思う。息をもつけ
ぬ攻防がある。
 そして、宗教と科学、天使と悪魔は、状況ごとに入れ替わり、読む者を翻
弄する。善はどちらなのだ? 正しいのはいずれなのだ?
 思考は困惑するばかりだ。どちらも正しく、そしてどちらも間違っている。
そして、この本を読みながら、ある方の言った事を思いだした。



 とある土曜の夜、渋谷の多国籍料理の店、
クラシック音楽を聞く方々の集まりに参加した。その二件目の店での事。
 私は初心者である。クラシック音楽と言うものを聞き始めて間がない。
当然、皆様の専門的で、熱っぽい話しにはついていけない。ついてはいけ
ないが、その熱っぽさと、断片的に聞こえてくる専門用語の響きに心地よ
さを感じていた。
 何故なら、集まった方々が、音楽レベルの違いで、人を見下すような軽
薄なる人々でなかったからである。しかし、その話題の一々に質問をか
ます程の度胸もない私はただひたすらに拝聴をしていた。
 そんな時、その店で隣り合わせた「はやでんさん」なる方(HNである)
が、私があまにも黙りこくっているのを見かねたのか、話しかけて下さった。

 はやでんさんは私にも分かるように、話しのレベルを落として話して下さ
った様だ。それでも私は相槌を打つことしか出来ず、時折、相槌も打てずに
黙りこくってしまうと、
「あ~、ごめんなさい、それはですね…」
 と更に噛み砕いて話して下さったのである。本当はもっと他の方と、次元
の高いところで話題を共有した方が楽しかろうと、恐縮も極まるが、それで
も御教授頂ける話しは私の心を豊かにしてくれたのだった。
 まぁ、出来の悪い中学生に、金八先生が居残り授業をしてくださっている
ところを想像していただければ分かりやすかろう。

 そして、その御教授の中で印象に残ったものがある。
「バッハが何故に、宗教音楽に傾倒したかって事なんですね…」
 どういった流れでバッハに辿り着いたのか、このバカ生徒は憶えていな
い。しかし、バッハがヨハン・セバスチャン・バッハだ、位の事は私にも分
かった。宗教音楽を多く作曲した程度の事も知っていた。
 そして、ロックギタリストのリッチー・ブラックモアが尊敬している作曲家だ
と言うくらいだった。

 はやでんさんの主旨はこうである。
「バッハは、モラルの危機を感じたんですよ、だから、宗教音楽に走ったと、
私は感じるんですねぇ」
 ここに至るまでに、はやでん先生は、バカ生徒にいろいろと語彙力の限り
を尽くして、お話し頂いたのだが、バカ生徒は結論しか理解出来ず、しかし
それ故に、この主旨は強烈に頭に残っていたのである。

「モラルの危機」
バカ生徒は考えた。

 人類に与えられた英知についてである。
人は道具を使う事が出来る。他の動物には使えない…。 いやいやもとい、

 動物は道具を使えない。でもいつの時代からか、人は道具を使えるよう
になった。

 車輪がいつ出来たか定かではないが、何百年か、何千年かの間、人は
それを車輪としか使えなかった。それが、たかが、百五十年にも満たない
時間の中で、人はそれを自動車に変え、陸上での移動時間を極端に短縮
し、人、物、文化、ありとあらゆるものを瞬時に動かす事を可能としてきた。
 今や、都市は車であふれかえり、先進国内での国民の必需品として、
なくてはならない物になっている。しかしその裏で、車は毎年一万人以上
の人を殺害し、数え切れないくらいの人々に怪我を負わせている。
以上、日本の話し。

 人の命の重さは何よりも勝る、とか、地球より重いとか聞く。しかし誰も
走る凶器である車を廃絶しよう、とは言わない。前記したのはおそらく、
「モラル」と言うものであろう。
 あまりにも早すぎた人類の英知の進化の前に、モラルは破壊されたと言
えなくはないか?

 アルベルト・アインシュタイン原子爆弾の元となる原理を発見した。
アインシュタインはそれが人類の平和のために役立つと信じていた。
 しかし、彼は死ぬまで、広島と長崎を気に病み、核廃絶を訴えた。
天才、アインシュタインでさえ予測できなかたモラルの崩壊とはいったい
何なのだ?


 英知を持たぬ動物に、モラルは無い。モラルと言うのは暴走する英知に
かけるための歯止めの事であろう。
 動物は、たとえ肉食獣であろうとも、自分の食欲以上の殺生を行わない。
縄張りを争うとも、女を争うとも、相手が逃げれば、追いかけてとどめを差
したりしない。
 人間以外の動物には、英知など無い替わりに、自然の摂理が備わってい
る。人間は形ばかりのモラルを振りかざすだけで、自然の摂理すらも次々
と破壊する。


「モラルの危機って昔っからあったんですよね。だから、バッハはそれを心
配したんじゃないかな~。僕はね、そう思うんですよ」

 にっこりと笑って、話しかけて下さったはやでんさんの言葉が今、この本
を読み終わったとたんに蘇ったのだった。