yokohamanekoの日記

横浜で猫2匹と暮らしております。

阿久悠さん 逝く


昨日、作詞家の阿久悠さんが亡くなったと聞いて驚きました。

つい先日まで、NHK-FMの番組に出演なされており、肉声を聞いて
いただけに、ちょっと信じ難い気持ちでした。

阿久悠さんは、私の青春時代である、1970年代、80年代、
それこそ、飛ぶ鳥を落とす勢いで売れていた作詞家です。


私のようなものでも、一応、多感だった頃もあり、音楽を聞くのにも、
一々屁理屈を並べ立てて、何にも分かっちゃいないくせに、分かった
ような顔をして、能書きをたれていた時代がありました。
中学、高校くらいの頃だったと思います。

音楽音痴だった私が、ようやくギターを手に取り、音の楽しさに目覚めた
のが14歳の時でした…。(大昔だなぁ…)
よしだたくろうに衝撃を受け、自分で作詞、作曲をし、歌う、所謂、
「シンガーソングライター」にあこがれました。
よしだたくろう井上陽水泉谷しげる岡林信康高石ともや南こうせつ
等々…、
「フォーク」と言うジャンルに私ははまり込んでしまったのです。

彼らは自分の言葉とメロディーで、曲を作っているのだ。
彼らの曲は、彼ら自身の真実であり、魂の叫びなのだ…。
などと、偏見に満ち溢れた幼稚なポリシーを持っていたのでした。

ですから、私は歌謡曲を見下していました。
その中での売れっ子、阿久悠さんを、軽蔑していました。

男のくせに、アイドル歌手の甘ったるい歌詞を書くなんておかしいじゃないか!
あんなのは、言葉の切り売りなのだ。魂がないのだ。くだらない!!
嘘っぱちじゃないか!!

同じく、フォーク好きな仲間と、阿久悠さんをこき下ろし、
謡曲をこき下ろし、聞いた風な理屈をこねることに一生懸命でした。

しかし、時代はアイドル全盛…。
テレビをつければ、どんな番組にでも歌手が登場し、歌を歌うのが普通。
好きだろうが、嫌いだろうが、何回も聞かされれば、覚えてしまうのが歌
と言うものです。

ピンクレディーがデビューした頃、私にとって、この二人は嫌悪する存在で
しかありませんでした。 
くだらない歌…、訳の分からない振付け…。
彼女たちのレコードが飛ぶように売れ、毎日のようにテレビ出演する…。
ゴールデンタイム…、なんと、どのチャンネルをひねっても二人は出演して
いました…。 今考えると、怖ろしい現象でした…。

私の世代の人間で、ピンクレディーの曲を知らないという人間はまずいません。
下手すると、振付だってちゃんとできる…。 なにしろあの二人は社会現象に
までなったのですから…。

そうです。 そんなこんなで、テレビで圧倒的なるイニシアティブを握っていた
謡曲は、聞き手に有無を言わさず浸透したのでした…。



その後、私はフォークから、ロックに趣向を変え、フォークギターを
エレキギターに持ちかえました。
「ニューミュージック」と呼ばれるムーブメントが起こり、シンガーソングライター
の時代が来て、歌謡曲は衰退し、いつしかその言葉もなくなっていったのです。


時は流れ、私の持つ楽器は、エレキからクラシックに変わりました。
冒頭でお話しした、阿久悠さんが出演していた番組をラジオで聞きました。
くだらない偏見など、とうに捨て去った私に、阿久悠さんが作詞し、
当時、売れっ子だった作曲家の方が作った曲は、まさにノスタルジー
はなく、新たな刺激として、私の心に響いたのです…。

嘘っぱちの詩…? 何が嘘っぱちなのだ?
嘘っぱちじゃなくて、「創作」って言うんだよ…。
数々のヒット曲を耳にしながら、私は、未熟な屁理屈野郎の十代の私に
向かって、つぶやいていたのでした…。


アイドル歌手、グループサウンズ、演歌、アダルトバンド、フォーク、
阿久悠さんが提供した歌詞のジャンルは、途方も無く広いです。
どうして、子供だった私は、あなたの素晴らしい世界を受け入れられなかった
のだろうか…。

今、考えると残念です…。


好きな詩があります…。


ペドロ&カプリシャス
ジョニーへの伝言

ジョニーが来たなら、伝えてよ
二時間待ってたと
割と元気よく、出ていったよと、
お酒のついでに伝えてよ
友達なら、そこのところ、
うまく、伝えて…


これからでも遅くない。
あなたの残した作品に、ちゃんと向きあってみたいです…。
阿久悠様…。

合掌…。