yokohamanekoの日記

横浜で猫2匹と暮らしております。

本当の「奇跡の人」

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今日の新聞で、見つけた小さな記事です。


ニューイングランド歴史系図協会(米ボストン)は6日、
病に聴覚と視覚を奪われながら強い意志で運命を切り開いた
ヘレン・ケラー(左)が8歳の時、家庭教師のアン・サリバンと
写っている1888年の写真=AP=が見つかったと発表した。
ケラーは「人形(ドール)」を最初の言葉として学んだといい、
人形と一緒にいる写真が見つかったのは初めてとみられるという。




「奇跡の人」として知られるヘレン・ケラーです。
裕福なる家庭に生まれながらも、一歳の時に熱病にかかり、
視力、聴力を失ってしまいます。

そんな彼女が、ある人の導きにより、大学で博士号を取までに至る。
見ることも、聞く事も、話すことも出来ない、三重苦の彼女が、
言わば神懸り的なる能力を発揮したので、後の人々は彼女を
「奇跡の人」と呼びます。

でも、私は、本当の「奇跡の人」は、
ヘレン・ケラーをそこまで導いてあげた、
アン・サリバン先生だと思います。

いやいや…、導いた人も、導かれた人もそうなのでしょうが、
あまりにもヘレン・ケラーの名が轟きまくり、サリバン先生が
影に隠れがちなので、そう思ったのかもしれません…。



ヘレン・ケラーは若干22歳で自伝を発表するに至ります。
それは、サリバン先生との葛藤の日々であり、
光も音もない世界で、まるで動物のようにしていた人間に、
なんとか人間のしての息吹を教えようとした、サリバン先生の
執念とも言えるものだと思うのです。

幸いな事に、その一部の和訳が私の手元にあります。








ある日の事、私が新しい人形で遊んでいると、
サリバン先生がもうひとつ、大きな布人形を私のひざの上にのせて、
d-o-l-l とつづり、それが両方の人形を指す言葉であることを私に
理解させようとしました。

その日、もうひとしきり私たちはm-u-g (湯のみ)とw-a-t-e-r (水)
とういう言葉をめぐって激しく格闘したあとでした。
サリバン先生はm-u-g が湯のみで、w-a-t-e-r が水であることを
私にわからせようとなすったのですが、私は強情なまでにこの2つを
混同しつづけました。
先生はあきらめてまたチャンスがあり次第再会するつもりでいったん
やめたのでした。

私は何度も繰り返された事で腹を立て、新しい人形をつかむと、
いきなり床に叩きつけました。砕け散った人形の破片が足元に
触れた時私は叫び出したいほど、痛快な気分でした。

かんしゃくがおさまったあとも、悲しみの気持ちや後悔の念が起こる事
はありませんでした。もともとこの人形に愛着など持っていなかったのです。
私の住む音のない暗闇の世界では、強く心を動かされることのなければ、
やさしさというものも存在しなかったのです。


先生が、人形の破片を炉辺の片隅に掃き寄せている気配に、不快の原因と
なっていたものが取り除かれたという満足感のようなものを覚えました。

先生が帽子を持ってきてくださり、私は暖かい陽射しの中へ出かけるのだと
わかりました。
そう考えると――言葉にならない感覚でもと考えて呼んでよいのなら――
私は嬉しくて小躍りしました。

私たちは芳香に誘われてスイカズラにおおわれた井戸小屋のほうへと
小径を歩いていきました。誰かが水をくみ上げて、先生は私の手を樋口
の下に持っていきました。冷たくほとばしる水を片手に受けている間、
先生はもう片方の手の中に、水という語をつづりました。
初めはゆっくり、そして次には素早く、私は身じろぎもせず、先生の
指の動きに全神経を集中させました。

突然、私は何か忘れていたものを思い出すような漠然とした感覚に
襲われました。頭の中に何かがよみがえってくるような、ぞくぞくする
感じでした。そしてどういう拍子か、言葉という神秘が姿を現した
のです。私はそのとき w-a-t-e-r というものが、私の手の上に
流れ落ちてくるこの冷たくて素敵なものを意味するのだと悟った
のでした。


その生命ある一語が私の魂を目覚めさせ、光と希望と悦びをもたらし、
自由の世界へと解き放ったのです!!!
確かに障壁は残っていましたが、それらは皆、いずれ一掃できるもの
ばかりでした。

私はもっと学びたくなって、井戸小屋を出ました。あらゆる物に名前があり、
そのひとつひとつの名前が新たな思考を生み出すのでした。
家へ戻る道すがら、私の触れるものすべてが命を吹き込まれて
打ち震えるように思われました。
それは今まで知らなかった新しい見方であらゆるものを見るように
なったからです。

玄関を入ると、すぐ私はあの、自分が壊した人形のことを思い出しました。
私は暖炉の前まで手探りで近づき、破片を拾い上げました。そして
それらをつなぎ合わせようと空しい努力をしました。
すると私の目に涙があふれてきました。
自分のしたことに気がついたのです。
生まれて初めて、私は後悔と悲しみの気持ちを味わったのでした。



文芸春秋社「感動する英語」より引用




サリバン先生は、言葉を教えただけではありません。
音のない暗闇で、まるで動物のように生きていたヘレンに、
人としての生き方を導いたのです…。

やっぱり、奇跡の人は
アン・サリバン先生だと…
私は思うのです…。