yokohamanekoの日記

横浜で猫2匹と暮らしております。

昨日の風景

昨日は仕事だった。出勤するときに驚いた。
午前四時にもならないと言うのに、交通量は昼真並み。
いつもは新聞配達のにいさんとか、仕事が終わった水商売の
ねえさんとかしかいないのに、多くの人たちが歩いていた。
帰宅すべく夜通し歩いている人たちなのであろう。
公園では毛布にくるまって震えている人たちもいたと聞く。
 
いつもは「だりぃ仕事」である。
だが、今日ほど仕事に行くというのが、こんなに贅沢な事
なのだと思い知らされた日はない。
 
市場は混乱していた。いや、正確に言えば手持無沙汰に
なっていたと言った方が正しい。
品物が来ないのである。ほとんどの自動車道路は閉鎖されている。
一般道は車であふれかえっている。東日本の産地はほとんどが
延着となった。
 
にら、いちご(栃木)が来ない。
椎茸(秋田)はどうだ?
もやし工場(茨城)が被害を受けたらしい。
いろんな情報が錯綜し、ともかくも待つしかない。
携帯はつながらないので運転手と連絡がつかない。
 
それでもなんとか8時には品物がそろってきた。
ドライバーたちは、安全なルートを模索し、東京の渋滞を耐え、
不眠不休で来たに違いない。さすがプロである。
 
欠品は仕方ない。お客様には事情を説明し理解をいただくしかない。
大幅に時間を過ぎてから、みんな配達に出発した。
 
 
我々の取引先は給食会社である。これらは効率化のため、
独自にセンターを設置し、食材の配送を行っている。
地震でこの機能が麻痺し、臨時的に注文が来た。
対応しなければならない。
 
忙しい一日であった。
 
段差のついてしまった道路、
レンガが崩れ落ちたビルの側面、
あちこちに見える建物のひび割れ、
18階にある老人ホームの厨房は崩壊していた。
高層ビルは揺れ幅が大きくなるためらしい。
 
しかし、細かい被害はあるものの、倒壊した建物もなく、
日常の風景はすでに戻っている。
 
 
くたくたになって帰宅した。
テレビをつけると、地獄絵図が映される。
地震の恐怖、津波による水の恐怖、
思いもよらなかった核の恐怖。
 
無邪気に猫が足元にじゃれつく。
余震はしつこく続いているが、
ここにはとりあえずの安全と安心がある。
当たり前に考えていた。
本当は贅沢な事なのに…。
 
 
テレビでは死亡、遺体、行方不明の言葉が行き交う。
被害がこれ以上でないように祈るしかない。
はやく、安全と安心が戻って欲しい。