yokohamanekoの日記

横浜で猫2匹と暮らしております。

あれから一年

ありふれたタイトルでしたが、本当に思います。
あの日から、もう一年経つのか…。
 
あの日の1446分、私は横浜の埠頭にいました。
強風なのか、地震なのか分からない気持ちの悪い揺れ。
トレーラーや、大型トラックがすぐに停止し、信号は消えていました。
車の中であるのに分かる激しい揺れにハンドルを握りしめました。
埠頭ですから倉庫街ですが、そこで働く人たちが外に出て、
ともかくもつかまれる物につかまり、悲鳴を上げていました。
 
ラジオの音声が耳に入りだしたのは、揺れが終わってから。
それまで視覚に集中していた神経がようやく耳に回りました。
それまではNHKFMクラシック音楽の番組でした。
NHKのアナウンサーが絶叫していました。
津波が来ます!!高台に逃げてください!!」と…。
血の気の引く思いでした。だって、すぐそこは海なんですから。
震源は? 震源はどこなんだ? と慌てふためいてしまいました。
ラジオのアナウンサーは「さんりくおき」を連呼していました。
 
私の中で、「さんりくおき」が分からず、「三陸沖」になるまで、
相当な時間がかかりました。これが、パニックというものなのです。
それなら、この辺は大丈夫だろうとようやく落ち着きました。
 
帰り道は、首都高速の下の国道を通って行きます。
阪神淡路大震災のあの光景が浮かんでしまいました。
ここでもう一回きたら…、この高速道路が落ちてきたら…。
 
なんとか帰社したときに、第二弾が来ました。
誰も乗っていないトラックが、タップダンスのように踊りだし、
建物がゆらゆらと動くさまに、本当に、笑ってしまいそうでした。
 
 
 
幸い、私の家は会社の近くで、しかも通勤方法は
スクーターだったので、無事家に帰る事が出来ました。
家の中は、まさに「足の踏み場がない」状態でした。
でも、猫は無事でしたし、ま、ともかくも片付けを始めました。
 
片付けは寝る時間まで続き、幸か不幸か、私はテレビを見ていません。
あのむごたらしい津波の映像は、二日後の日曜に見ました。
 
 
手元にあの翌日の朝日新聞があります。
別に意味は無いけど、あの日から二か月分くらい取ってあります。
12日(土)の朝刊の見出し。
 
MM8.8世界最大級 大津波
震度7 死者.不明850人超
 
8.8は9に修正されました。
MMの値で、0.2の違いはエネルギーで倍になります。
そして、850人が2万人近くになろうとは…。
 
そして人類史上、最悪の事故である、福島第一原発の事故。
すぐに収まると思っていました。全然根拠はありません。
日本にそんな事故はありえない。
先進国の中でも、技術大国の日本にそんな事はありえない。
しかし、そんな、あてずっぽうな私の推測は、はずれました。
 
 
地震津波の被害は、失われた命以外なら、
なんとか取り戻せるかもしれません。
しかし、放射線物質にやられたものはどうしようもありません。
 
 
放射線物質を消せる方法は無いんだろうか?
除線を今、いろいろやっているけど、それは放射線物質を
人間のいるところから、ちょっと遠ざけるだけの事。
消線は出来ないんだろうか?
 
ふざけてるわけではありません。
宇宙戦艦ヤマト」で、イスカンダル星にある、放射能除去装置。
あれを誰か、発明出来ないでしょうか?
核分裂が出来るなら、核統合は出来ないのか。
その際に放射能物質も一緒に取り込めないのか。
 
日本の科学技術で、なんとかならないかなぁ…。