yokohamanekoの日記

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「八月の路上に捨てる」 伊藤たかみ

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「八月の路上に捨てる」 伊藤たかみ  文芸春秋九月号

七月、第百三十五回芥川賞が発表された。
受賞作は伊藤たかみ氏の「八月の路上に捨てる」である。
今日発売の、文芸春秋九月号に全文掲載されているので、読んでみた。


水城絵美は自動販売機の補充を仕事としている。
二トントラックに商品である飲料水の缶を積み、東京都心のルートを
回っている。
佐藤敦は彼女の助手でアルバイトである。しかし年齢は三十を過ぎていた。

水城さんがこの仕事最後の日、その一日がこの小説となっている。

水城さんはこの日、敦の離婚について根掘り葉掘り尋ねる。

水城さんと、敦は艶っぽい関係ではない。
正社員とアルバイトであるから、主従であるかと思えば、
そう堅い関係でも無さそうだ。

男同士の共犯的関係でもなく、
異性間の緊張した敵対や融合でもなく、

年上で、正社員で、バツイチ子持ちで、男気あふれる水城さんと、
女と夢を追い続け、結婚し、現実の厳しさに打ちひしがれ、
明日離婚届を提出する敦、という関係なのだ。


ふたりの作業と、敦の過去が章ごとに入れ替わる。

脚本家を夢見た敦と、雑誌編集者を目指す知恵子は
一緒に暮らし始めた。
しかし、夢は夢…。夢だけでは食っていく事が出来ない。
知恵子は就職し、先に夢を諦めた。

やがて、敦も現実に気付き始めるが、知恵子が言い出さない事
を理由に中途半端な状態は続き、結婚する。
結婚した当初から、二人の歯車はほんの少しずつ狂いだした。

この小説のテーマは離婚である。

敦と知恵子の狂い出した歯車は、いつしかかみ合わなくなり、
やがて破局へと連なっていく。

痛いのだ。
描かれている二人の些細な日常生活が、少しずつ、微妙なところで
駄目になっていく。
意味不明な行動、言葉の端々、そして敦の浮気…。


仕事しながら話す敦に、水城さんはコメントを入れる。
水城さんは、熱血過ぎて廃業したような人生相談のコンサルタントの様に
コメントするのだった。

思ってる事をちゃんと説明すれば分かりあえるのか?
夫婦だと難しくなってしまう事もある。

「けむりづめ」という将棋の手があるそうだ。
ただひたすらに玉を追い詰め、自分の駒を失う。しかし、上手く解けば
最後に自分が勝つというものだ。
水城さんは自分がそうなのだと言う。

ネコ(商品をはこぶ台車)で商品を運ぶときに大事なのはバランス。
完全に調和が取れてしまうと前に進まない。
推進力を得るためには、均衡をやぶる必要がある。
それはどこか男と女の関係に似ている。


敦と知恵子は、離婚を前に最後の儀式として、デートした。
二人にゆかりの場所を回り、お互いの嫌いなところを炙り出しあった。
しかし、すでに最後が見えている二人にとってそれは平穏だった。


敦の話しが終わり、二人の仕事も終わり、水城さんは去っていく。


離婚経験者が読んだら、いちいち痛いところが多数出てくるはずである。
かく言う私もそうなのだが、作中の水城さんの言葉にこんなのがある。

「でもまぁ、あたしも同じだったか。まったく、離婚のときって自分が自分
じゃなくなる
よね。何やってんだかよくわからなくなるし」

確かに言えているかもしれないが、私はこうも思った。
恋愛中だって、自分は自分だろうか?
自分が自分でなくなるから、結婚するとおかしくなったりするのではないか?

恋愛という、いわば非現実的なるものが、結婚という現実になる。
お互いが本来の自分を徐々に取り戻していった後、
気付けば、相手は全く違ったものに映っているのかもしれない。
その映り方は千差万別で、法則などひとつも見当たらないのだろう。


短いけれど、凄く良い小説だと思った。
さて、そこで選評を読んで見るが…やはり手厳しい…。
私のようなあさはかなる読者にはとうてい理解の及ばぬところである。
ちなみに、伊藤たかみ氏の奥方は角田光代さんである。

なるほどと思うような・・・そうでないような・・・。(笑)