本能寺の変
今年は大河ドラマの影響で明智光秀が大流行り。光秀と言えば「本能寺の変」が有名です。
「麒麟が来る」もまだ織田信長が登場したばかりです。「本能寺の変」はおそらく放送が12月でしょうから(笑)まだ先ですね。しかし「歴史ヒストリア」の時間帯に特別番組が組まれました。事前に知っていれば録画もセットしたでしょうが、知らなかったので一部しか見られませんでした。
内容と言えば、討論の形でどっかの大学教授とか、歴史ジャーナリストとかが、あーでもないこーでもないと話し合います。最新の歴史資料を以てして討論は歴史ファンにとってたまらないものでした。
「鞆幕府推戴説」とか(ともばくふすいたいせつ って読むですって)、「構造改革反発説」とか「信長暴走阻止説」「四国説」「秀吉陰謀説」と進みます。
最新が「四国説」です。当時、四国で長宗我部元親と三好氏が対立していました。長宗我部と信長は同盟しており、その窓口になっていたのが明智光秀でした。信長は自分で取った土地は自分の物にして良いと言っておきながら、三好氏と接近します。更に信長は領土の返還を命令します。信長にとって長宗我部でも三好どちらでも良かったのです。
間に入った光秀に、長宗我部元親は領土の返還を申し出ますが、信長は更なる追討を命じました。
これが本能寺の変の三日前…。これが理由かも…。