yokohamanekoの日記

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「輪違屋 糸里」 浅田次郎

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輪違屋糸里 上 下」 浅田次郎 文春文庫

新撰組と言うと、歴史の仇花として、敗者の美学を論ぜられる事が
多い。確かに、江戸300年の歴史の中で、形骸化してしまった武士道
を貫き通し、京から北の果てまで戦った戦闘集団として、人気がある。

歴史を作ってきたのは、一見、男のように見える。

しかし、男が作ってきたのは、殺し合いの歴史であり、
それゆえに歴史は、繁栄したり、衰退したりした。



この物語は、新撰組と言う組織の、ごく初期の話である。

嘉永6年(1853年)、黒船来航とともに、日本は混迷の時代を迎える。
詳しい成り行きは省略するが、京都の守護職として、新撰組が現れる。

浪士の寄せ集めだった新撰組だから、近藤勇派と、芹沢鴨派があった。
そして、芹沢鴨の乱行には目に余るものがあった。
大阪では力士と乱闘事件を起こし、島原遊郭の角屋において什器破損。
大阪新町の吉田屋で、仲居の髪を切り刻み、集金に来た、菱屋の主人の
妾、梅を強姦した。
決定的だったのは、生糸商の大和屋を、金策を断ったと言う理由で、
焼き討ちにしたのである。

とうとう、新撰組を預かる会津藩より、芹沢処置の命が下された。


新撰組の宴会が角屋で開かれた後、壬生の八木邸に戻った芹沢を
近藤一派が襲撃し、殺害した。



このとき、芹沢と一緒にいたのが、平山五郎と、平間重助であった。
芹沢は、強姦したのちに、自分の女としてしまった梅と、そして、
平山は、桔梗屋の芸妓、吉栄と、平間は輪違屋の芸妓、糸里と
同衾していたと言われている。



この程度の知識ならば、私もうっすら憶えていた。
輪違屋の糸里は、平間の女に過ぎない…。そう思っていた。

糸里の名は、子母澤寛の「新撰組遺聞」に出てくるだけだそうだ。
それも、芹沢暗殺の現場に居合わせた、というだけで、後は何も
分かっていない。その後の行方は不明である。

浅田次郎は、この、新撰組史上の、
ほんの脇役のエキストラに光を当てたのだった。



確かに歴史は男が作ってきた。
しかし、それは表面上の事だけで、ほんの少し掘り下げてみただけでも、
上っ面に出てくる男達を、女が動かしていたのは明白である。



輪違屋というのは、今でも京に現存する「置屋」である。
置屋は、芸妓を住まわせ、芸を磨かせ、その精神を教え込む、言わば
養成所である。
実際に客が遊ぶ、「揚屋」から要請を受け、芸妓を派遣する。
前述した角屋は揚屋になるのだ。



幼い頃、貧困ゆえに、輪違屋に売られた糸里、
そして、同じく様な境遇から、桔梗屋に売られた吉栄…。

血を吐くような思いをしなければ、京で生き残っていけない芸妓たち。

梅も同様であった。
女郎屋に売られた梅は、女衒の目を盗んで逃走し、男の間を彷徨う様に
生きぬいてきた。


この本はこの三人の女が醸し出すドラマなのである。
このドラマの中では、近藤勇も、土方歳三も脇役でしかない。
そして、この二人の知名度の高さ故から、とかくも悪役とされる芹沢鴨が、
本作では、まったく生々しく、その弱さをさらけ出している。

歴史にはいくつもの暗部がある。
だからとて、戻って検証できないのも歴史である。

しかし、小説ならばそれが許される。
歴史の暗部を推理し、分かっている史実と融合させることによって、
また別の歴史を再現できる。

かつて「壬生義士伝」の中で、武士とはなにかを、ひたすら追求した
浅田次郎が、「女幕末」を描いているのだ。

そして、ラストにはきちんとお約束も果たされている。





「泣かせ屋 次郎」の名は伊達ではない。
女の強さも、弱さも、みんな描き切った秀作だと思う…。