「クッキングパパ 96巻」 うえやまとち その2
昨日は、暴走前置き(爆)で終わってしまったので、
今日は、ちゃんと、本題…。 (汗)
今回のコミックは、大きく分けて、
「鹿狩編」と「まことの大学受験編」とに分かれる。
「鹿狩り編」
荒岩と部下の田中は、ひょんな事から、
鹿狩りに誘われ、参加する。
無論、銃を扱えない二人は、参加と言うよりは、
見学に近い。
猟のさなか、獲物は徐々に追い込まれていく。
緊張も最高潮になった田中の前に、鹿が躍り出た。
躍動する野生の命…。 圧倒される田中の耳は、
銃の轟音に圧倒される。
獲物は二頭の鹿である。
鹿が銃殺され、角にロープを張られて運ばれ、
吊るし上げられ、バラされ、肉になっていく。
このへんのくだりだけを見ていれば、
並みの日本人の神経を持っていれば、「かわいそう」
という感覚に行き着くはずだ。
私もそうだった。
田中も同然である。
バラされ、料理された鹿を眺めながら、
田中が言うのだ。
「ついさっきまで、野山を駆け回ってたんですよね。
係長…。
命か…。
スゴイっすね――っ」
涙ながらに、鹿の肉を眺める田中に感動する。
日本人は、魚の頭を切り落とす事には、
さほどの抵抗がないものの、
四本足の動物が死ぬ事には、衝撃を覚える。
肉食の歴史が浅い事は勿論、
家庭で、四本足をさばく事など、ほぼありえないので、
さばく、と言うより、殺すという印象が強いのだと思う。
日本人は、生き物、と、食べ物を、区別する。
あるエッセイで読んだ事があるのだが、
肉を砂漠のなかで、出切るだけ長持ちさせるように
移動させるにはどうしたら良いか?との問いに、
日本人は、
「醤油漬けにする」とか、「塩漬けにする」とか
「氷付けにする」とか答えた。
しかし、砂漠に住む遊牧民は、
「生きたまま移動する」
と答えた。
殺さなければ、腐らない。
という理屈である。
まったく、その通りなのだ。
このように、
我々日本人(に限らないかもしれないが)は、
生き物を殺すと言う過程を省いて、
うまい肉に舌鼓を打つ。
そのくせ、
鯨を殺すなだとか、
犬を食うな(韓国料理)だとか、
好き勝手な事を抜かす。
なにをどう理論武装しようとも、
我々人間は、他の生物を殺し、
食い、生き長らえてきたのだ。
動物愛護や、ベジタリアンの気持ちも、
分からないではないが、宗教的なる感覚で、
他人に強制出切るものではないと思う。
まぁ、なにかと世の中がヒステリックになる中、
よく、こんなシリアスな絵を書けたと感心する。
うえやまとち氏の、前書きには、
「かわいそ~~~と言う声もありましたが、
僕はありのまま描いちゃいました。ごめんなさい~~!」
と茶化したコメントがある。
本当はもっと、強いメッセージがあると思うのだが…。