yokohamanekoの日記

横浜で猫2匹と暮らしております。

八月のマルクス



「八月のマルクス」 新野剛士 講談社文庫


本書を読もうと思ったきっかけは、第四十五回江戸川乱歩賞受賞作品と
言うことがあるが、著者の略歴にもある。本のカバーに著者の略歴が以下
の通りある。

新野剛士(しんのたけし)

1965年東京生まれ、立教大学社会学部卒業。
95年、「自分にイヤ気がさし」会社にも実家にも無断で失踪。ホームレス
生活のなかで応募原稿を書き続け、99年、本作品で第四十五回江戸川
乱歩賞を受賞。三年振りに実家に帰った。

以後、「スジの通った男の生きざま」をテーマに、サスペンス、ハードボイ
ルドの佳作を発表し続けている。


私なんぞも、自分に嫌気が差すことなど日常茶飯事的に起こるが、だか
らとて世捨て人になるような度胸もなく、しかしそれはもしかして、本当に
自分に嫌気が差したのではないのかとも感じる。

 ともかくも、一応は一流大学を卒業し、それなりの企業に就職したのであ
ろうから、それらを棒に振ってまでの逃避行なのだ。よくよくの事だろうと察
する。そういう人が書いた小説とはどんな作品なのだろうか?
 非常にワイドショー的、興味本位な好奇心であるが、私の読書欲をそそ
ったのは間違いない。


 さてさて、物語である。この小説の主人公は笠原雄二。物語は笠原の「私」
と言う一人称で展開する。

 笠原は、立川誠とのコンビで一世を風靡したお笑い芸人だった。しかし、
身に覚えの無いレイプスキャンダルを書きたてられ、所属事務所は彼を
助けず、彼の母親は「雄二に代わって私がお詫びします」と遺書を残し、
自殺した。
 恋人でもあった、所属事務所社長の娘である屋部奈津子とも別離し、
笠原は芸能界を引退し、アパート経営でひっそりと暮らし始めた。五年前
の事だった。

 五年間、笠原の時間は止まっていた。そんな笠原に訪れた人物が、かつ
ての相棒、立川だった。笠原が引退後も、誰とも組まず、一人でその地位
を確保してきた立川は自分が癌だと告白する。

 しかし、立川との邂逅直後、立川は失踪する。そして、笠原のスキャンダ
ルを書きたてたライターが殺害された。容疑は笠原に向けられる。
 笠原は止ってしまった時間を動かさねばならなくなった。そして自分が置
き去りにしてきた過去に、ケリをつけなければならなかった。


 以上のようなイントロダクションで物語は展開される。

私の偏狭なる視線で何なのだが、芸能界を舞台にした小説と言うのは過
去にいくらもあると思うのだが、しかし、それは歌手だとか役者だとかって、
非常に煌びやかなる部分での、栄光と挫折みたいなものがテーマだった。

 お笑い芸人を取り上げたと言うのは、ちょっと記憶に無い。芸人と、歌手や
役者だと、おのずとその捉え方が違ってくる。
 何故なら、歌手や役者は、常に綺麗事を並べたて、歌うメッセージや、演
技する内容はともかくも、私生活は常にクリーンにされなければならない。

 それに対し、「芸人」と言うのはその限りではない。
「芸の為なら女房も泣かす」なるフレーズがまかり通る様に、私生活がどう
であれ、その一芸に秀でていれば、その非も寛容されてしまう。

 そんな特殊なる世界の話しかと、読み進めるが、そんな男尊女卑的なる
「芸人」の話しではない。
 テレビの中で、自らをいかに軽率に、下らなく、そしておかしく見せるのか
が、芸人の仕事であろう。そして、芸人は明るい人間である必要はなく、
クラスの人気者である必要はなく、むしろ、そういう人間はこの世界で長続
きしないと、小説の中で著者は説く。

 そういう、表面上からしか見えない世界から、この小説を楽しむのも一考
であろう。

 いろいろな事件と人間関係は絡み合い、久し振りの本格ミステリーを読ん
だと思った。著者が事細かく描き出す布石は、後半において全て、きちっと
意味のあるものになり、説得力もある。
 物語はいろいろなところに流れ、ラストに近付くに従い、スリリングな展開と
なる。かなり計算し尽くされた構成だと思う。


 面白い小説だったと思うが、まだ私が読むきっかけとなった疑問に答え
は出ない。デビュー作にそこまでの思い入れをするのは無理かもしれない。

 江戸川乱歩賞の受賞者と言えば、西村京太郎、森村誠一、和久俊三、
と言う大家を始め、高橋克彦東野圭吾桐野夏生藤原伊織真保裕一
野沢尚福井晴敏など、枚挙に暇が無い程の実力派が揃っている。

 新野剛士の名がその仲間に入り、「無条件買い作家」の一人になってくれ
る様、切望する次第である。

 そうなったら、下らない私の疑問も晴れるだろうか?

 ちなみに、私の「無条件買い作家」には、宮部みゆき浅田次郎、桐野夏
生、馳星周中村うさぎ乃南アサ山本文緒、等々がいる。