yokohamanekoの日記

横浜で猫2匹と暮らしております。

厳しさ

まだ、ワールドカップの余韻はいろいろなところに残っている。
もちろん、日本が敗退しただけで、本戦は続けられている。
ツウなサッカーファンにとってはこれからが本当におもしろいところだろう。
 
しかし私のように、にわかサッカーファンや、ワールドカップだけのファンに
とっては日本代表の敗退はワールドカップの終了と大差ない。
深夜に行われている激戦よりも日本代表の帰国に興味は行っている。
 
スポーツ新聞はともかくも、一般紙での一面トップにサッカー記事が
大きく載ることはなくなるだろう。 それでも日本代表の余韻を探すべく
紙面をめくると、馳星周のコラムがあった。サッカー通で知られた作家
であり、ノアール(暗黒)小説の第一人者で、私もファンだ。
 
その馳氏のコラムは辛辣だった。
 
予選リーグで勝ったのは、強運だったに過ぎない。
決勝トーナメントになったとたんに選手は弱気になり、
岡田監督はこれを修正できなかった。
病に倒れなければ、オシム監督がもっとアクティブなサッカーを
展開し、日本の負けに私は歯ぎしりし地団太踏んで悔しがったはずだ。
今回のパラグアイ戦後、残念だったが、悔しくはなかった。
 
要約すると以上のようになるが、かなり厳しい内容だった。
 
 
不快になりながらも、何回も読みなおし、しかしこれに反論出来るほど
自分はサッカーを知らず、読み返すほどに、沈黙した。
 
スポーツ面にオシム氏のコラムも発見し、驚愕した。
馳氏とまったく同じ表現の部分を発見したのだ。
 
 
「日本代表は、勝ちたい、という気持ちが、
 負けたくない、に変わってしまった」
 
とある。
 
 
私のようなにわかサッカーファンにとっては、選手の心理の移り変わり
までを理解するのは不可能である。
 
良くやったから偉い、
夢を見させてくれてありがとう、
と選手の心理も分からずに、こっちの良いように解釈し終わらせる。
 
しかし、負けた選手はそうではあるまい。
一生懸命やったから、許されるなどと言う世界ではないのだ。
それを知る者と、知らない者の間にこう言う温度差が生まれるのだろう。
 
日本はまだまだ、ワールドカップでは新参者である。
これを強化するには、サッカーを知り尽くした者の厳しい意見が必要だ。
勿論、プレイヤーにも聞く耳が要る。
 
 
しかし、しかしである。
にわかサッカーファンの私は、やっぱり、勝とうと、負けようと、
暖かく選手を迎えたいのだ。
 
 
 
オシム氏のコラムの最初はこうだ。
 
「PKを失敗した駒野を責めないで欲しい。
 駒野も自分を責めないように。
 PKはサッカーではない」
 
そだ! そだ!